ゲルソン療法は、「厳格な食事法」です。
あれがダメ、これがダメ。制約がたっくさんあります😭
やり始めて数日もすると、無塩食の影響か、無タンパク質の影響か、フラフラする事もありましたし、何を食べればいいのか悩んで、そのせいか、食事そのものが億劫になるような日もありました。
でも、それ以上に「大変だったこと」があります。
それは、「家族からの大反対」です。
現代医学において、「正しい」のは、抗がん剤や放射線治療です。
食事療法、代替療法は、「間違っている」と言われます。
もしかすると、私のように、「私はゲルソン療法をやりたい。でも、周囲が反対をしてて。。。」
という方がいるかな~、と思いまして、私の体験記として、記事にしたいと思います👍
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「そんなバカげた本」と怒鳴られたあの日
当初、私の場合、「初期の子宮けいがん」という事で、円錐手術を受ければ、それだけで終わるはずでした。
しかし、「初期の子宮けいがん」と言われた時点で、頭はパニック😭
もしかして、私、30歳にして、もう死んじゃう?😨😨😨
手術の日が決まっても、決して心穏やかに過ごせるものではありません。
元来、本が好きな私は、図書館に行き、手当たり次第に癌に関する本を借り、読むようになりました。
1番最初に読んだ本がなんだったか。それはもう覚えていません。
ただ、最初に衝撃を受けたのは、「近藤誠」氏の書籍だったことは覚えています。
癌に抗がん剤は効かない
我が家では、というか、我が家系では、その頃既に、祖母と叔父がガンで亡くなっていました。
祖母は大腸がん。叔父は、最後まで原発(最初に発生したガン)はわからず、発覚した時にはすでに骨転移。
2人とも、手術を受けたのち、抗がん剤治療を受けたのですが、入院前は普通に生活をしていたのに、手術をして抗がん剤を投与されたら、みるみる弱っていき、あっという間に起き上がる事さえできなくなってしまいました。
思い返せば、近藤誠氏の書籍に書いてあるとおりの流れでした😣
当時の私は、ガンになったら手術からの抗がん剤。
これが当たり前だと思っていたから、祖母や叔父の経緯について、疑問を持ったことというのはありませんでした。
でも、近藤誠氏が言うように、ガンに抗がん剤が効かないのだとすれば、祖母と叔父は、現代医学に殺されたことになるのではないか⁉
私は、絶対に抗がん剤は受けたくない❗
そう強く思ったのでした。
そして、私自身の手術ののち、結果を聞きに行った際に言われたのは、「浸潤癌でした。」という想定外の言葉😨
パニックなんてものじゃありません。
頭の中が空っぽ、というのは、この事を言うのか、と、まさにそんな感じです。
そんな私をよそに、今後の治療方針について、抗がん剤と放射線の違いの説明が始まりました。
いやいやいや、抗がん剤は、ガンには効かないんでしょ?
この医者、私を殺そうとしてる?
抗がん剤は、絶対にイヤ!
仮に死ぬとしても、祖母や叔父のように、起き上がる事さえできず、モルヒネで意識朦朧とさせられて、周囲の状況さえ理解できなくなって死ぬなんて絶対にイヤ❗😭
医者の話なんて、ほとんど聞いていられませんでした。
自宅に帰って1度考えます、と言っても、「進行しちゃうから、とりあえず書類にサインして、治療しながら考えましょう」と言われたけれど、かたくなにサインは拒み、自宅に帰りました。
家に戻り、経緯を家族に説明。
もう家族も真っ青です😨
そして、私が抗がん剤をやりたくない、という意志を示すと、
「え。なんで?じゃぁ、どうするの?」と。
そこで私は、近藤誠氏の話と、それから、これも手術前に読んでいた、ゲルソン療法の本の話をしました。
でも、本は、図書館の本だったので、その時、もう手元にはありません。
あくまでも、私の口から、こんな事が書いてあった、あんな事が書いてあった、という説明をしたのですが。。。
「そんなバカげた本を信じるつもりか?おまえはバカか?」
頭ごなしに、否定されました。
今思えば、多分、私の説明も拙かったんでしょうね。
手元に本がないから、うろ覚えで説明していることもあったり、家族の質問に答えられないこともあったり。
家族自身も、私が浸潤癌という事が衝撃で、ちょっとはパニックだったろうし、それもあって、言葉も強くなったのかな、なんて、今では思えます😂
でも、その瞬間は、「なんで私の話をちゃんと聞いてくれないの?」
その気持ちしかありませんでした。
結局その日は、
「すぐ、明日にでも病院に行って、書類にサインしてくるぞ!」と怒鳴る家族。
「絶対に抗がん剤なんて受けないから!」と怒鳴る私。
それで終わった夜でした。
「医者に任せるのが1番だよ」と諭され続けた2週間
翌朝以降は、家族も怒鳴らなくなっていました。
ガンになった本人である私に、怒鳴って「死ぬつもりか?」と言うのもどうなのか、と自発的に思ったのだと思います😋
しかし、優しく、優しく、「病院に行こう」「ちゃんと先生(医師)の話を聞こう」「医者に任せるのが1番だよ」という話を延々とするようになりました。
私は、「抗がん剤はしない」という事をかたくなに言い続け、そして、マックスゲルソン氏の「がん食事療法全書」を注文しました。
ゲルソン療法をやるからには、図書館の本じゃなくて、ちゃんと、自分で本を持ってなきゃ。
お金もそんなにないから、あれもこれも本は買えないから、実践に使う本を1冊だけ。
家族にも、本を読ませれば、きっとわかってくれるはず。と思ったのです。
届いた本を家族に差し出し、「いいからこれを読んでみて」と言ったのですが。。。📙
パラパラとめくって、数ページ読んだだけで、「わからん」と言って終わりました😨
これも、「今思えば。。。」という話なのですが、いきなり、マックスゲルソン氏の「ガン食事療法全書」を読め、と言われても、内容が難しすぎます。
しかも、英語の本を訳してある本なので、日本語がちょっとおかしかったり、1文が長すぎて意味不明っぽくなっていたりという部分があるのです。
家族に伝えるのであれば、やっぱり、近藤誠氏の本や、星野仁彦氏の本を先に読ませるべきだったと今は思います👍
「読みやすい本」 ← これって超大事!
結局、家族が本をきちんと読んでくれる事はなく、次の病院までの2週間、「医者に任せるのが1番だ」と言い続けられたのでした。
家族も、私を心配してくれているというのは、私もよーくわかっています。
だからこそ、怒鳴ったり、一生懸命さとしてくれているのだというのもわかります。
でも、もし、ここで、家族の言葉に従ったら。。。。
きっと私は、起き上がれなくなったときに、「あの時、家族の言葉に従っていなければ。。。私は、家族に殺されたんだ」と思うに違いありません。
もちろん、家族は、私を殺そうなんて思っていません。そんな事はわかっています。
ただ、「無知」なのです😣
祖母や叔父がガンになった頃、私自身もそうであったように、抗がん剤がガンに効かないなんて、考えたこともないのです。
私が読んでいる本だって、「怪しい本」だと思っているから、私が「怪しい本に騙されないように」と思ってくれているのです。
そんな事はわかっています。
でも、それでも!
私が納得いかない方法で治療するという事は、最後は、誰かのせいにしたくなるにきまってます。
それが、家族のせいだと思うなんて、ものすごい悲しい事じゃないですか。
だから、病院に行く前の日に、家族に言いました。
「もし、死ぬとしても、自分の納得した方法をやって死にたい。
納得していない方法をやって死んだら、後悔しか残らない。」と。
私ももう、怒鳴る元気もありません。
ただただ、淡々と。。。ただ淡々とそれを言い続けました。
最後は、家族が折れました。
渋々と。「わかった。」
大切な家族の言葉を一切受け入れない自分。
悲しかったです😭
「こんなもの毎日食えるのか?」の言葉に見栄をはった初日
病院に行き、抗がん剤も放射線も受けない意向を示すと、「セカンドオピニオン」を勧められました。
「セカンドオピニオン」と言っても、当時はまだセカンドオピニオンというものが定着していないというか、要は、同じ病院内にある「セカンドオピニオン科」に行って相談してきなさい、という意味です。
同じ病院内にあるのですから、医師の決定に従うよう促される場所です。
他の病院に行くことも考えましたが、また1から検査をして、医者に抗がん剤と言われ、それを拒否する、という一連の行動をするのがイヤでした。
だから、思い切って、「死んでもいいから、定期的に検査だけして下さい。」と言いました。
「死んでもいいんですか?」と、医者は、一瞬躊躇した後で、私に言いました。
「はい。どうせ死ぬなら、私の納得いく方法で死にたいです。」
医者は、しばらく黙った後に、
「じゃぁ、まずはそうして下さい。検査の数値が悪化してきたら、またその時に一緒に考えましょう。」と。
その病院は、子宮けいがんの名医と呼ばれる方がいる病院でした。
調べて調べて、名医がいる、というからこそ選んだ、2時間以上かけて行く病院でした。
でも、ごくごく凡人である私が、名医に見てもらえる事はないんでしょうね。
私を担当していたのは、超若手。多分、30歳にもなっていない医師でした。
ちょっと小太りで、おどおどしている感じで、声も小さくて、いわば、頼りないような、そんな医者でした。
でも、そんな医者だからこそ、「じゃぁ、まずはそうして下さい」って言ってくれたんだと思います。
今思えば、これはラッキーな話。
もし、最初から名医にあたってたら、私の考えなんて、一蹴されたんでしょうね。
そんなんだったら、他の病院へ行ってください、と言われていたかもしれません。
そんなわけで、とにもかくにも、病院の示す治療は受けず、でも、検査だけは受けられる体制が整いました。
早速帰って、ゲルソン療法開始です。
っていっても、ニンジンジュースだけはすでに始めていたんですけどね🥕🌟
本格的にゲルソン食を始めたのは、病院から帰って来てからです。
最初に作ったのは、オートミールとヒポクラティススープ。
ゲルソン療法の王道の食事です。
この時は、とにかく作ってみよう、と思ったので、無農薬とかオーガニックのものではありません。
普通に、スーパーで売っているもので作りました。
完成品を見て、ご満悦。
うん、なかなか美味しそうじゃない♪
なんて思ったのですが、いざ食べてみると。。。まずっ!
まずいというか、当たり前ですけど、味がないんですよね。
味がないって、こんなにもさもさしているというか、なんというか。
表現しにくいのですが、食べれないというわけじゃないけど、箸が進みません。
特に、オートミールがきつかった。
味がなくてもさもさしているのに、ドロドロしてるんです。
感覚として、食べてて気持ち悪いのです😭
で、ヒポクラティススープですが、ちゃんとしたレシピでは、出来上がったスープを、ジューサーにかけて、こっちもドロドロにして飲むのが正解です。
が、私はレシピを読み違えまして、固形のままで食べました。
こっちもドロドロだったら、食べられなかったかもしれない。
今思えば、レシピを読み違えてて良かった。
そんな私の様子を見ていた家族から、ひとこと。
「こんなもの毎日食えるのか?」
正直、内心、本音では、私自身も、「こんなもの毎日食えるか!」って思ってたんですけど、
「食べれるよ。続けるもん。」
家族の大反対を押し切って、ゲルソン療法をやると言ってしまった手前、見栄を張って食べるしかないのでした。
今思えば、家族の言葉も、ベストタイミング。
これで、続けるしかない、という環境が整ったのでした。
「肉を食え!」と怒鳴られた日
見栄を張って続けたゲルソン療法でしたが、3日目には、主食を白米のおかゆに変えました。
オートミールが、どうにも続けられなかった。
ゲルソン療法では、精製したものは禁止、という事で、星野氏や今村氏は玄米を勧めていたのですが、ゲルソン療法全書には、「玄米は週に1回まで」と記載されています。
これは、おそらく、消化に悪いからですね。
「消化」を何より大事にしているゲルソン療法において、消化に悪い玄米を勧めるわけがありません。
それから、玄米は、含有農薬が多い事が多いんです。
無農薬にこだわるゲルソン療法で、含有農薬が多い玄米を毎日食べるよう勧めるわけがありません。
なので私は、玄米ではなくて、白米を選んだのです。
玄米よりも、確実に消化に良い。残留農薬も確実に少ない。
ビタミンやミネラルは、確かに玄米のほうが多いけれど、それは他で補えば良いだろう、と考えたのです。
白米のおかゆと、固形のままのヒポクラティススープ。
これなら、問題なく続けられます。
1週間もする頃には、味にも慣れて、むしろ、美味しいと感じるようになってきました💖
ところが、2か月が経過するころ、妙にフラフラする1日が出てきました😨
仕事にも身が入らず、電車の中でも今にも倒れそうな気がする。
とにかく、早く横になりたい。そんな感じでした。
家に帰宅し、はぁ~、と息を吐き、横たわりました。
「どうした?」と聞かれ、
「なんかフラフラするんだよね~」と答えたところ、
急に、主人が怒鳴り始めました。
「あんな食事していたら当たり前だ!肉を食え!肉だ!肉だ!」
怒り狂ったように、主人は私の手をとって、焼き肉屋へ。。。
ゲルソン療法中の私にとって、焼き肉屋で食べれるものなんてほぼありません。
仕方なく、サンチェを食べました。もちろん、お肉は巻きません。たれも付けません。
おそらく、サンチェは無農薬ではないと思います。
「どうして、家族は私の邪魔ばかりするんだろう。。。」
悲しくてしょうがありませんでした。
食べている間、何度も、「肉を食え」と言われ、差し出されましたが、私は首をふるだけ。
切々と、「毎日を元気に過ごせないと意味がないだろう」と語り続ける主人に対しても、その日はもう、フラフラしてるし、激論をかわすような気持ちにもなれなかったので、ただただ黙って聞いていました。
いや、聞いていないですね。うわの空。
早く帰りたい、横になりたい。その気持ちを胸に、時間が過ぎるのを待っていただけです。
主人も食べ終わり、諦めた様子で、「帰るか」と言い、お互い、無言で帰宅したのでした。
帰宅後、ニンジンジュースを飲んで、速効寝ました。
翌朝は、なんとなくボーっとする感じはありましたが、前日のようなフラフラする感じはナシ。
冷静に考えれば、肉も食べてないし、塩分もとってないのですから、フラフラするのも当たり前ですよね。
自分自身もつらかったので、その日は、あさりをゆでて、ゆで汁を飲みました。
あさりのゆで汁を飲んだ瞬間、ぷわぁ~、と身体に染みいる感じがして、一気にパワーがみなぎってきました。
わぉ、塩分ってすげー❗💖って、思った瞬間です。
その後も、何度か、フラフラする日がありました。
ですが、もう、家族には、そのことは一切言いません。
自分の体調を冷静に見て、どうしてもしんどい時は、あさりのゆで汁を飲んでやり過ごすようにしました。
(2~3年経過した頃には、そのゆで汁でおじやを作ったりもしました。ものすごく美味しく感じましたよ。)
家族のため息はストレス以外のなにものでもない
こうして、しんどい時も、自分が弱気になった時も、私は誰にも弱音を吐けない状況になっていきました。
それだけではありません。
私自身が体調が良い時であっても、家族は、私の食事を見て、ため息をつくんです。
もう、家族と食卓を囲む事が、日々のストレスとなっていきます😣🥗
ストレスを感じると、ガン細胞が増えると言われています。
厳密に言えば、ガンをやっつける免疫細胞の働きの妨げになる、という事ですね。
家族も、きっと、私のためを思ってくれてはいるのでしょうが、家族の態度が私のストレス。
こんな家族と一緒にいたら、家族のせいでガン細胞が増えちゃう。そんな風に思う日もありました。
時には、私がお笑い番組などを見て大笑いしている時なんかに、
「ストレスは、ガンに悪いからな、うんうん、笑え、笑え。」とか言うんですよね。
ストレスがガンに悪いって、知ってるんじゃん!だったら、私にストレスかけるなよ。と腹が立つような日もありました。
でも、家族の側にも、ストレスはたまっていたようです。
「外食にも行けやしない。」
「気を使って、デザートも食えない。」
「ニンジン、邪魔!」
そんな事を言われる日もたびたびありました。
この人たちは、自分がガンになったらどうするんだろう、って、よく思いました。
ようやくゲルソン療法を認めてくれた日
そんなこんなで、ゲルソン療法を始めてから約1年。
検査は3カ月おきにしていたのですが、1年が経過したときに、医者が、「ガン細胞、消えてますね。」と言いました。
え?と思い、私は黙って医者の姿をガン見。
しばらく考えた後、首を傾げながら、「まぁ、いいでしょう。」とひとこと。
あの姿は、今でも忘れられません。
「今は消えていますが、今後どうなるかはわかりません。引き続き、検査には来てください」と言われ、病院を後にしたのでした。
会計を待つ間、ふつふつと喜びが沸いてきました。
よっしゃ!よっしゃ!やっぱりゲルソン療法をやって良かった!🌟
嬉しくて嬉しくてたまらなくて、帰宅途中、主人に電話をかけました。
日々、ストレスの元と思っていた家族ですが、こういう時は、結局家族に電話をしちゃうんですね。
「ガン細胞消えてたよ!」
「え?そうなの?マジで?やったじゃん!じゃぁ、今日はお祝いで焼き肉か?」
「いやいや、ガン細胞が消えてから5年が経過して完治だもん。いつもどおり。」
「なんだ、残念。でもまぁ、いっか。良かったジャン。」
こうやって文字にしてみると、なんて、陳腐な会話なのでしょう。
ただ、この時は、気持ちが高ぶっていて、ものすごく楽しい会話をしたように感じました。
もう久しぶりに感じた、晴れ晴れとした気分でした。
帰宅し、家族も帰ってきて、口々に、「良かったね~」の言葉。
皆、満面の笑みです。
「あんなくそまずい食事を続けてた甲斐があったじゃん!」と大笑い。
あんだけ否定してたのに、ガン細胞が消えた、となると、手のひら返しです。
あんな食事でガンって消えるんだな~。
検査の結果が間違ってんじゃないの?
食事で治るなら、医者なんていらねーじゃん。
医者も見せる顔がねーな。
ニンジンさまさまじゃん!
そんな会話が続きます。
母は、涙を流して、
本当に治るんだね。ばあちゃんや叔父さんは、あんなつらい思いをして。あの時、ゲルソン療法を知っていれば。。。と。
ばあちゃんと、叔父さんがガンになった時、私は、ガンについて、調べることもありませんでした。
思えば、なんて薄情な人間だったのでしょう。
自分自身がガンになって初めて、いろんな事を調べ始め、ゲルソン療法に出合う事が出来たのです。
もし、ばあちゃんや叔父さんがガンになった時に調べていたら、その時だったら、私は、ゲルソン療法に対して、どんな風に思ったのでしょう。
自分の時のように、「これだ!」と思えたのか、それとも、私の家族のように、「怪しい、何かを売りたいだけでは?」と勘繰ったのか。。。
今となってはもうわかりません。
ただ、1つだけ思えるのは、「自分」がガンになった時って、ものすごい頑張れますね。
誰か他の人、それが、大切な人であったとしても、「自分」がなるのと、「自分以外の誰か」がなるのとでは、やっぱり大きく違う。
私の家族も、私がガンになって、これをやりたい、と言って本を見せても、読んでもくれなかった。
でもきっと、「自分」がガンになったのであれば、頑張って読んだんじゃないか、と思うのです。
元来、私は怠け者です。
日記も続かないし、ダイエットも続かない。家をきれいに保つのも苦手。
そんな私が、ゲルソン療法だけは続けられた。
「死ぬかもしれない」という思いは、ものすごいパワーを持つんだな、といまさらながら思います😋
その後は、家族も私を応援し、時には、健康のために、と、一緒にゲルソン食を食べてくれる日もありました。
ニンジンジュースも、朝だけはみんなで飲むようになりました。
でも、家族に否定され続けた1年は、ほんとにつらかったです。
ゲルソン食のまずさも、時折くるフラフラ感もつらかった。
でも、1番つらかったのは、家族の態度でした。
逆に言えば、家族にはもっとも理解してほしかったんでしょうね🌟
医者が反対するのは当たり前。体調がしんどいのも当たり前。
でも、まさか家族が反対するなんて、と。
治るために頑張っているのに、その頑張りを、もっとも理解してほしい家族に否定されるわけですから。
ただ、反対する家族に対する意地もあって、続けられた、という部分も、確かにあるんです。
だから、どっちが良かったのか。
今になって思えば、反対されていたからこそ続けられたのかもしれない。
そう思う部分もあります。
だからもし、この記事を読んでいる方の中で、私と同じような気持ちを持っている方がいたら。。。
家族の反対にも負けずに、頑張って続けて欲しい、と思うのです。
間違いなく、ご家族も、あなたを心配しているからこそ、反対している。
それだけは、間違いないのですから。
そしてもし、ご家族の側の方が、この記事を読んでいるとしたら。
私の家族のように、反対の気持ちで読んでいるとしたら。
反対する気持ちを表に出すな、とは言いません。でも、取り組んでいる本人のつらさも、ある程度理解してあげてほしいな、と思います。
取り組んでいる本人だって、本音で言えば半信半疑。
それでも、この方法ならきっと助かる、生きていける、と信じて続けているわけですから。
以上、ゲルソン療法をやっていて、1番つらい事、の話でした。
でも、今は胸を張って言えますが、絶対、やって良かったです。
家族の反対に負けずに続けて良かったです🌟
続けていなかったらどうなったのか、それはわかりませんが、「自分の意思」を貫く事は、治った場合でも、治らなかった場合でも「納得」できる。私はそう思っています。
最後の最後、家族のせいにしてしまうなんて、絶対にイヤです。
ゲルソン療法をやってみたい、と思っている方が、ご家族の反対で、泣く泣く諦める事がない事を、願う次第です👍


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